告別式。

同じ部活仲間であり、彼の幼なじみのYくんのとりはからいで、明け方まで彼に付き添うことが出来ました。度々線香をあげながら、彼と飲み明かしました。
 
4時頃にご両親が仮眠から戻られたので、一旦失礼して友人と仕事部屋へ。8時頃まで仮眠をとった後、随分久しぶりの栄養ドリンクを飲んで告別式へ。
私はなんとなく「読経の間は故人にこちらの思いを伝える事が出来る」ような気がしているのですが、一晩一緒に居た事で少し落ち着いてひとつひとつ語りかける事ができました。
「ちゃんとお盆に帰って来なさいよ」と伝えながら、霊柩車が見えなくなるまで見送りました。これでもう会う事が出来ないのだと思うと涙が止まらず、霊柩車が走り去って辺りの人が居なくなってからも、しばらくその場を動くことが出来ませんでした。斎場の前に私と、マイミクでもあるところのアケミちゃんのふたりしか居なくなったところで、大声出して大泣きに泣きました。アケミちゃんはずっと私の肩を抱えて、一緒に泣いてくれました。
 
女性陣は、昨晩からずっと付き添わせて頂きご家族にもずいぶん気を遣わせてしまった為、出棺までで帰宅しましたが、その後特に仲の良かった男性陣は、火葬場まで同行しました。後から聞いた話ですが、火葬後に燃え残ったペースメーカーに嗚咽が止まらなかったそうです。
 
今回こういった事を書き連ねる事に多少の迷いがありました。
しかし、「人に見てもらう」というよりは、帰宅して落ち着いた今、昨日からの事を振り返ることで、彼や彼の教えてくれた事を忘れないようにしたいと思い、あえてこの日記を綴っています。
 
水曜どうでしょうのディレクター嬉野さんが、以前こうおっしゃっていました。

「人が死ぬ事が悲しいのではなく、その人に会いたいと思った時に会えない事が悲しい」

今も、通夜にも告別式にも出席して線香もあげて、火葬場へ向かう彼を見送ったのに、それでもまだ彼が戻ってくるような気がしています。亡くなったことが信じられないとかではなく、亡くなったことを認めた上で猶、まるで遠くにでも出かけていたように彼が帰ってくるような気がするのです。
そういった思考はある種の現実逃避なのかもしれません。でも今は、どんな形であれ彼の事を思う事で、私達の中の彼が生き続けていられるようにしていたいのです。彼に寂しい思いをさせないように。
 
すぐにってわけにはいかないけれど、みんなちゃんと後から行くから、気長に待っててよ。