通夜。

先日亡くなった友人のお通夜に行って来ました。
本来であれば19時まで勤務しなければいけない日なのですが、斎場が仕事場から遠い事もあり、無理を言ったり「前日は17時でいいと言っていたのに!」とキレたり、散々リーダーを困らせた挙句、見かねたチームの先輩が「そういう事情なら」とリーダーの会議中にOKをくれた為、何とか17時にサインアウト(Oさん、本当にごめんなさい&ありがとうございます。)
 
友人の車で斎場に到着しましたが、認めたくなくて、なかなか斎場に入ることが出来ませんでした。臨終の連絡をもらっても、供花手配の相談をしても、新聞のおくやみ欄を見てすら実感の沸かない私にとっては、あそこが最後のラインだったのかもしれません。
 
しかし斎場に入ると、目の前にはやっぱり彼の遺影がありました。いつものように目を細めて笑う、みんなが覚えている彼の顔でした。
 
読経の間、少しでも目に焼き付けようとずっと遺影を見ていました。
その笑顔があまりにもいつもの笑顔だったので、明日にでもまたこれまでのようにご飯を食べに行ったりカラオケに行ったり出来るような気がして、高校の時にそうしていた時の事が自然によみがえり、涙をこらえることが出来ませんでした。
本人のお通夜にも関わらず、今にも「遅れてゴメン」と彼が現れそうで、まだ頭の中のいろんな情報がめちゃくちゃに繋がっているような状態です。
 
お通夜も終わりに近づき、お線香をあげた後にご両親にご挨拶しました。お父様は「たくさん思い出をくれてありがとう」と言ってくださいました。その後、お母様からお聞きしたお話は、私にもお母様にも辛い事でした。
 
「あなた方が帰った後、あの子「オレ、死にたくない」って言ったんです。あなたが来てくれて、本当に元気付けられたんですよ。」
それを聞かされて、私はすっかりその場に泣き崩れてしまいました。
 
お話では、5月中旬には少しですが一時的に病状が改善したとの事でした。
全く会うことが出来なかった友人もいた中、1ヶ月前に会えた私は幸せなのかもしれません。でも、私なんかでもお見舞いに行くことで、彼が少しでも元気が取り戻せたと知っていたら、あの後も何度だって彼に会ってあげたかった。
思い返せばそれらしき言葉はありました。普段弱音を吐かない彼が、ぽつりぽつりと言っていたのです。

「いや、最近の医学はすごいよ。昨日胸切って、もう今日には歩かされたんだぜ…?」

 
そんな事を考えてしまえばキリがないのかもしれませんが、気付いてあげたかった。1度しかお見舞いに行けなかった事を彼に詫びました。
彼は許してくれるでしょうか。仮に許してくれなくても、もしも文句を言いに戻って来てくれたなら、いくらでも彼のお小言を聞いていられるはずです。