20時27分。

高校時代の部活仲間が亡くなりました。
心臓に先天的な病気を持っていた彼は、普段の生活でも部活の時でも、他の誰よりも「きつい」とか「つらい」とか言わない人でした。
高校在学中は、そんな彼の事が本当に好きでした。結果は、彼に「他の子が好きだ」と"友達"として打ち明けられるという、まるで歌の歌詞みたいなフラレ方でしたが、それでも「頑張って」と言ってあげられるような人でした。
そんな彼ですから、その後も友人としてお付き合いする事が出来ました。でも、気を遣ってくれた事は数え切れないと思います。

 
前々から「こっちに戻ってきたらゆっくり飲もう!」と言ってくれていたので、3月にこちらへ引っ越した時はすぐに連絡しました。でも彼はその時既に札幌の病院に入院していました。

 
5月に札幌へ野球を見に行った際、帰りに彼を見舞いました。
前日に緊急手術をしていた彼は、何も知らずに押しかけてしまった私と友人に、それでも「会いたい」と言ってくれました。食事中だった彼は、弱々しく「せっかく来てくれたのにすまん」と言いました。彼が悪いことなんてひとつもないのに。


5分そこそこで帰宅して1週間後、彼からメールが来ました。

「あの雄姿を見てだいぶヒイた事だろう。このところちょっと調子が悪くてもうしばらく入院しなくてはならないけれど、退院したら飲みに行こう!」

というものでした。文末には自分がそんな状態なのに「身体に気をつけて仕事頑張れ」という言葉さえありました。


実際彼のメールの通り、私と友人は病状が想像以上に悪かった事にひいていました。正直に言うと「ひいていた」どころではなく、二人とも「これが最期になるなんて事がありませんように」と思った位でした。
それでもそんなメールの口調から、勝手に少し安心をしていました。


東京出張もあってそのまま数週間が過ぎた頃、ふと彼の事が気にかかりました。彼からのメールはあれ以来ありませんでした。私は彼にメールを打ちました。

「その後具合はどう?ご飯はちゃんと食べられる?飯でも栄養剤でもなんでもいいから、とにかく栄養とっとけ。
高校時代みたいに健気に毎日通うことは出来ないけれどw、またそのうち行くからさ。」


返事はありませんでした。恐らくその時、既にメールなど出来る状態ではなかったのでしょう。
羽田からの帰りの便を1本早くして札幌に行けばよかったという思いも、今となっては数多く残る後悔のひとつに過ぎません。


けれど、もし3月に「帰ってきたよ」とメールを出さなかったら(彼は自分から入院を伝える人ではありませんでした)。あの日仕事が休みでなかったら。あの日野球を見に行っていなかったら。そして観戦が1日前の手術当日だったら。
いくつもの偶然が重なり、最期に彼と言葉を交わす事が出来た事に感謝します。
そして、恐らく辛かっただろう時に「会いたい」と言ってくれた、沢山の思い出をくれた彼に心から感謝します。